2011年5月1日〜15日
5月1日 セシリオ 〔犬・未出〕

 寝室のドアはこれみよがしにあけっぱなしだった。
 グウィンはルークのひざの上で悶え、あえいでいた。

「どうだい、言えよ。うれしくてたまらないって」

 ルークが笑いながら、グウィンのからだを揺さぶっている。グウィンの両手は縛られていた。
 彼は「クソ野郎」と罵りながら泣きじゃくっていた。

「思い上がるんじゃねえ、てめえのこりゃピーナツか。ぜんぜん感じねえ」

「へえ。じゃ、抜こうか」

 ぼくはそっとドアを離れた。
 理解した。そして、自分のまぬけさに呆然となった。


5月2日 セシリオ 〔犬・未出〕

 真相がわかると、ひどく腹がたった。
 ぼくは夜の町を駆けてパパ・レナードの屋敷に戻った。

「どうしたのさ」

 ヤンがおどろいて迎えた時、ぼくはわめきそうになった。

「グウィンが帰ってきた。家でルークの上でよがってた」

「な、中に入れ」

 ヤンはぼくを黙らせ、自分の部屋に入れてくれた。ぼくは話した。

 グウィンはルークに惚れていた。でも、根っからの女王様体質から、からかったりイジメでしか表せなかった。ルークはそんな彼に揺さぶりをかけようとして、ぼくを抱いたんだ。


5月3日 セシリオ 〔犬・未出〕

 いったん吐き出すと、次に情けなくなってしまった。

「ぼくは必要なかったんだ。なのに、いつまでもくっついていて、バカみたいだ」

 ここしばらくの鬱々としたものが涙になってわっとあふれた。ヤンが背に手をあててやさしく言った。

「きみはグウィンが好きだったんだね」

「大嫌いだ。もとから嫌いだった!」

「好きだったんだよ」

 そう言われた時、こんどはかなしい気持ちがつきあげた。そうなのだ。気が合わないながら、なんとか、うまくやりたかった。ぼくのことも好きになってほしかった。


5月4日 セシリオ 〔犬・未出〕

 ぼくはレナードにたずねた。

「あなたの犬になることはできますか」

 レナードはちょっとおどろいたようだが

「セシーのことはわたしも好きだよ。グウィンに話そう」

 と言った。

 ぼくはグウィンとは直接話さず、レナードの犬になった。
 レナードは言った。

「うちは恋愛自由だ。CFで好きな子とつきあってもいいし、寝てもいい。ま、たまにスケベなおっさんがベッドにもぐりこんでくるのはがまんしてもらうがね」

 二年たったら解放するとも言った。

「それまでに役立つスキルを身につけておいで。それ以外は楽しくやろう」


5月5日 セシリオ 〔犬・未出〕

 ぼくがハーレムの一員になっても、ヤンは歓迎してくれた。

「おれはご主人様を自分ひとりのものとは考えてないよ。彼がおれを自由にしてくれているように、おれも彼を自由にしておきたい」

 ヤンとそういうことでいがみあいたくなかったから助かった。
 
 なんということだ。なにもかも申し分ない! レナードはベッドでもやさしいし、蹴り落としたりしない。
 大好きなヤンと暮らせる。昼は稽古が楽しい。

 いったい今までの苦悩はなんだったのだろう。早くこうすればよかった!


5月6日 セシリオ 〔犬・未出〕

グウィンとルークは同棲しはじめたようだ。
それを知り、少し乾いた気持ちになったが、恨みはもうなかった。

 結局、とぼくはヤンに言った。

「負けが込むとギャンブルってやめられなくなるだろ。あれといっしょだよ。グウィンとうまくいかないのが気になって気になって、どうしても抜けられなかった。でも、持ち金がついて目が覚めたってとこかな」

 ヤンはなるほどとまじめに聞いてくれた。
 ヤンには感謝している。今度のことでどれだけ支えられたか。しかし、今度はヤンに問題が起こった。


5月7日 セシリオ 〔犬・未出〕

 アピンが京劇クラスを辞めたのだ。
 ひどいタイミングだ。あと二週間で公演だというのに。

 原因はヤンとの喧嘩だった。

「情けない話、嫉妬なんだ」

 ヤンはすっかりしょげこんで言った。アピンは少し気まぐれなところがあり、稽古をしばしば休んだ。風邪だと言ったり、調子悪いといいながら、プールで別の犬とふざけてたりした。
 ヤンがそのことをなじると、またウソをついて言い逃れした。

 どうもそのプールの別の犬はイギリスの特殊部隊にいたやつらしく、アピンはよろめいているらしい。


5月8日 セシリオ 〔犬・未出〕

「おれ、主宰なのに、なんてことしちまったんだろう」

 ヤンは自己嫌悪に陥って、ふさぎこんでいる。
 たしかにタイミングが悪すぎる。話し合って、戻ってもらうわけにはいかないものか。

「彼の主人がうちの犬に近寄るなってさ」

 アピンは主人に泣きついたようで、ヤンは彼と話すこともできなくなってしまった。

「公演、どうしようか」

 ほかの連中も困っている。アピンは二演目出る予定で、両方主役だ。今から覚えられるものでもない。
 だが、中止にはしたくなかった。ここはぼくががんばらなくちゃ。


5月9日 セシリオ 〔犬・未出〕

「きみ、やれよ。孫二娘」

 ぼくはヤンに言った。

「きみがフリつけたんだ。できるだろ」

「おれが女役?」

 ヤンは老人役だが、子どもの頃は立ち回り役だったのを転向したため、体は動く。

「声が出るかな」

 そういいつつ、ヤンもそれしかないと決めたようだ。

「それと、拾玉しょくのほうはカット、代わりにヤンの文昭関を入れよう」

 ヤンは少し戸惑った。

「あれは歌メインだから、客は寝ちゃうぜ」

「寝ない」

 ぼくは言った。

「お客さんを甘くみるなよ。ここにはアーティストの犬もいっぱいいる。本物はわかるさ」


5月10日 劉小雲 〔犬・未出〕

 京劇役者のヤンから、演舞をやってくれ、という話がきました。

「うちの役者がひとりぬけちゃってさ。おれ掛け持ちなの。化粧を変える間、ひとつカッコいいの舞ってくれないかな」

 ヤンの頼みなら聞かないわけにいきません。
 庭で練習していると、ご主人様が

「すげえな、おれもそれやってみたいわ」

 めずらしくその気になり、中庭にやってきました。しかし、ちょっと足をあげた途端、地面にうずくまって動けなくなってしまいました。

 その後は彼に気孔治療を施し、練習になりませんでした。


5月11日 セシリオ 〔犬・未出〕

 ぼくの相手役をヤンがやることになった。
 アピンはひとりで踊るように自分勝手に動くが、ヤンはぼくに合わせてくれる。すごくやりやすい。
 
 キーボードのユーリも効果音をうまく合わせてくれる。変更があって大変だけど、稽古は順調だ。

 ただ、今ひとつヤンの元気が出ないことだけがひっかかる。
 アピンに振られて、ヤンの笑顔がさびしくなった。夕食のあとも人恋しいのか、ぼくと長話したがる。

 カリスマ的な空気がちぢんで、当たり前の若い男、未熟で不安な若者の姿が彼のなかに見えた。


5月12日 セシリオ 〔犬・未出〕

 ぼくは少し狼狽している。

 昼間は稽古や打ち合わせで忙しく、ヤンもこれまでどおり活発だ。
 が、家に帰ってくると、いつもアピンの話をする。

 アピンの不実を恨んだり、自分がいかに尽くしたかという話をしたと思うと、自分は何様だ、アピンはよくつきあってくれた、と勝手に自己嫌悪に陥る。

 そんな時、彼がとても小さく見える。ぼくのなかにあったヤンへの勝手な期待がしぼんでいくのが、わかる。
 そして、がっかりしてしまう薄情な自分がいやになる。


5月13日 セシリオ 〔犬・未出〕

(いや、ここで突き放しちゃいかんよな。彼だって、ぼくを支えてくれたんだ。今度はこっちが支えなきゃ)

 朝、目が覚めた時にそう思い、気分をあらたに階下におりた。だが、ヤンはキッチンにもリビングにもいなかった。
 ご主人様にたずねると

「CFじゃないのか」

 ひとりで行くとは珍しい。ぼくはCFに行ったが、ヤンはクラスにきていなかった。中庭にもいなかった。
 誰も彼を見ていない。

 ぼくはぞっとした。まさか、逃亡?


5月14日 セシリオ 〔犬・未出〕

 CFにいないとわかって、足が震えた。
 ぼくはなぜ、逃亡の可能性を考えなかったのだろう。

 ヤンは苦しんでいた。あんなしっかりした男が、身も世もなくぼくにすがって、打ち明けねばならないほど弱っていた。

 それをぼくは重たく思っていた。表面には出さなかったつもりだが、わかってたんだ。 
 ヤンはいつもぼくより、ぼくのことをわかってたんだから。

(なんてことをしちまったんだ。ぼくは)

 後悔で折り崩れそうだった。
 ぼくはヤンのことを愛している。いなくなったら、耐えられない。


5月15日 セシリオ 〔犬・未出〕

 ところがドムスに戻るとヤンがいた。

「ヤン! どこへ行ってたんだよ!」

「人間ドック」

 彼は少しも劇的ではない事情でポルタ・アルブスにいた。

「出掛けにご主人様に言ったよ。寝ぼけてて気づかなかったのかな」

「アピンに振られて、逃亡したかと思ったぞ」

「まさか」

 ヤンは苦笑した。

「そんな情熱的な男じゃないよ。公演もあるのに。それにもう終わらせたよ。悩むの」

 ヤンは何かを洗い落としたような、すっきりした顔で言った。

「去っていったものは、おれには必要のなかったものだったのさ」


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